I am walking on the fade out road
2023年05月29日
このところ初夏の日差しが眩しい。これまでの初夏のものとそれほど違うものとは思わないけど。確かに公私にコロナ、コロナで心身ともに萎縮している日々が続いていたし、日常はそうしたことのstressにもようやくなじみ始めていた。また、今月初旬からは感染症としても第2類から第5類へとその制度対応が引き下げられ、マスクの着用も基本的には本人の自主的な判断に委ねられることになった。しかし、対人状況下ではこれまでマスク着用が日常化していただけに、この時期になっても感染予防からというよりは素の顔を晒すのがなんとなく気恥ずかしく思えて外せないでいる。
さらには、社会一般的にはとっくにリタイヤ年齢なのにこの年になるまで現役を続けた我が身にそろそろ千秋楽を迎えさせてやろうと思い始めていたこのところの思いが漸く現実味を帯びて来ている。そんな者の目には、日差しだけでなく日常のさまざまな出来事が、我が身のあらゆる感覚を通してなんだか違った色合いで見え始めているような気がする。まるで今まで見ていた赤色はあの赤ではなく、Doの♪もあのDoでもなく、口にする甘味も酸味もいつも馴染んできたあの甘味でも、酸味でもなく、挙げ句の果てには人間様のあれこれ万事、嬉しさも怒りも寂しさもなんだか中性的、表層的な感じがしている。これがあの世にいう「年齢とともに人が丸くなった」ということかもしれないが、それはある意味記憶力が薄れたり、物事に対する執着がなくなったり、眼前の事物の実在感が薄れやがてはボケ老人化することなのかもしれないなと思わなくもない。クワバラ クワバラ。
しかし、これはこれで自分が引き受けて来た我が人生、最後までもたもたしながらも、しっかりと受け止めてやらねばと思っているこの頃である。
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