雨音はいつもの梅雨時のそれではあるが
2020年06月29日
年初から始まったコロナ騒動も長い長い過越が続く中ではあるが、こうなったら持久戦の様相を呈している感がある。
ここ東京でも国の緊急事態宣言後の自粛要請やら東京でのアラート発令とその解除などなどあれもこれも喧しく、演技っぽく、清濁併せ吞む様でさまざまなメデイア媒体を使って喧伝されてきた。その内容の実効性がどこまであったのだろうか。今となってはそれらのすべては首長選びの序走?・序奏のための一つ一つと見えてくるが・・。
為政者たちの本音のアンダーウエヤがチラいついてしまって、醜く、グロテスクだ。人間の弱さや不安や恐怖心までをネタにしての大見得を切らないと今時のしらけ切った観客の媚を得ることは難しいのだろうか。
そんな業界の怪しげな感覚とは程遠くピュアで、真面目さが取り柄の我々の業界人は、煽られた不安感や恐怖心にまるで舞台端のエキストラであるかのように額に汗して主役の振る舞いに翻弄されているかのようである。これを世では茶番劇と言うんだろうか。
全てがこの危機的な事態に、己の実存を剥き出しにして自己主張する中だけど、我々は子ども世界の脇役であって、汗と泥に塗れた顔にド派手なドーランを塗ろうなどと夢ゆめ・・。クワバラ、クワバラ。
さてさて、今日も昨日までのように彼らの夢や可能性に期待をもって見守りながら、丁寧に、丁寧に、彼らの世界を安心と安全の真綿にくるむべく愚直に歩いて行こうか。
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