現状維持は後退であると考えていたが
2020年11月24日
今年も残すところ1ヶ月余りとなった。季節は足早に移り、木枯らしも吹き、最近は小春日和の日々が続いている。昼夜の寒暖差が大きいのか、例年になく街路樹などが紅や黄色に美しく、目に鮮やかである。自然の摂理は、大地の装いをこうして多少の凸凹をしながらも毎年毎年静かに、穏やかに淡々と様相を変えていく。そんな大地の気品に満ちた、神々しいまでの変容の中で、この地球上の人間模様はあまりにドラマティックで、あまりに騒々しく、あまりに疎ましいまでに末期的な状況であるような気がしないでもない。
コロナの話はもちろんであるが、最近の出来事での刮目すべき社会事象はアメリカの大統領選挙であろう。そこで起きている前代未聞の出来事が延々と日々の天気予報のように報道されている。しかもその中身には国家的なプライドも品位もないし、将来に対する希望も見えてこない。これまで我々は、まさに地球的な常識としてアメリカ合州国は、文化的にも社会的にも政治経済的にも科学的にも人類史上最も高位なレベルに到達した国であり、国民であると見做していた。それがなんとなんと、あのザマである。
人類がこの地上に登場してからの途方もない多くの時間、多くの過ちの中で気付きと築きのうちに作り上げて来た人類の文明、文化そして何よりも人類の矜恃はどこに行ってしまったのだろうか。それほどまでにもろくて儚くて、表層的なものだったのだろうか。
そうした中で、時期副大統領のカマラ・ハリス女史の勝利演説は感激もので目から鱗であった。
それはアメリカの公民権運動の草分けの一人であるジョン・ルイス下院議員の「民主主義は状態ではなく、行動である」という言葉を受けて、「民主主義は、私たちがそのために戦い、守ろうとする意欲と同じものでしかなく、決して当たり前のものではない。」と言う言葉でした。このことは、突き詰めれば我々の希望も理想も、それを望み、願い、費やした努力の分でしかないし、それに向けての進行形の状況こそが夢であり希望そのものであるということだと理解した。つまり、成果というよりはその過程こそに意味があるのだと。
人類が願い続ける夢や希望、また平和も、あてがわれた結果物ではなく、それを望み、願い、抗い続ける日々の実践の中にこそあるのだと。したり! 納得である!
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