心が痛むことの多すぎるこの時代
2014年11月29日
最近の地球的規模での人間の所業にはあまたの罪深さを感じざるを得ません。例えば、子ども、ひたすら大人たちの愛情に信頼を寄せ、身を託し、究極的には生死すら委ねざるを得ないこの小さな命が、大人たちのエゴや傲慢さや無関心の嵐のなかに翻弄されています。間違いなくこれは、これは彼らへの明らかな虐待ではないでしょうか。彼らの一人ひとりの命、彼らの一人ひとりの思い、願い、夢、希望は掛け替えのないものであり、この地上のすべての命には意味があり、価値があり、尊重され、護られなければならないというのは今日的な普遍的人間観であり、価値観です。もちろん、間違ってもその人の出来栄えの多寡でその価値が左右されるものではないはず。近年我が国での社会現象として最悪最大の憎むべき事故、事件の一つに「児童虐待」があり、発生件数は飛躍的な増大の一途で、留まるところ知らない。この背景には様々な背景があるとしても、この社会病理現象としての禍は、残念ながら世の常として、もっとも小さく、弱いものへと収斂するというということです。その意味では、我々関係者は我々のmissionとしての発達支援対象は、間違いなく二重三重の意味でこの世の「小さきもの」としての存在であり、結果として虐待の被害を受けやすい、受けてしまっているかも知れないことにもっと心を配らなければなりません。「Nobody Perfect!」、「Human Dignity」を盾として、私たちの一人ひとりがそうした社会の、社会の暴挙から彼らを護ることが喫緊の課題でとなっています。もちろん併せて、彼らの一人ひとりの主体的で、個性豊かな育ち、学び、暮らしをstrengthとかempowermentの視点から、どのように支援するかが我々のmissionでもあることは言うまでもありません。しかし、そのようなmissionを力強く、効果的に、実効性をもって推し進めることは容易なことではないことも事実です。残念ながら社会には未だ多くの、偏見や差別が満ち満ちているからです。我々関係者が、圧倒的な社会的majorityにドンキホーテ的に立ち向かうことを厭わず、また多様な発達ニーズ、子育てニーズに答える知識、技術、経験、情報などの一層の切磋琢磨こそが必要不可欠なのは言うまでもないことで、せいぜい気張りましょう。あの掛け替えのない、小さな命のともしびをもっと大きく、明るく、確かなものとするために。合掌!!
11月19日から21日まで我々の長年の同志である韓国障害児保育提供機関協議会の金ジョンホ前会長、白ウンチャン現会長が来園され、学園との協約に基づいての交流研修会が実施された。
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