待降節が始まったよ!
2022年11月29日
今年も余すところ1カ月ばかりとなった。例年の事とは言え、あれこれ忙しい事半端ではない。世の中も今年はWORLD CUP SOCCERでノーテンキに騒がしいが、学園では時間も労力もお金も賭ける年間最大のPROGRAMと言えるクリスマスを祝う会の準備がすでに始まっている。待降節と言われるクリスマスまでに4週間をかけて環境を、結果として気持ちをキリストの誕生を祝う日に最高潮に盛り上げていく過程がある。学園のChaplainの神父様にはこの間に保護者と職員に対して「感謝の集い」を行っていただきクリスマスの意味・意義の理解を深めたりする時間もある。最終的には500人余になる子どもたちと保護者に対して学園全体で2日間にわたって3回の集いが催されるのである。
そこまで大がかりなPROGRAMにする背景には、キリストが誕生するための泊まる宿も無く、誕生のための十分な設備もない馬小屋で大きな命が誕生することの意味が我々の日常の生きる意味、我々の発達支援事業の持っているMISSIONに重なるからである。
さらには、さまざまな課題のうちにある幼児を育てることの意味について家族が、またそこに寄り添う我々の支援事業を、さらには双方にとっても自分自身のこの一年を感謝をもって静かに振り返る一時でもあるのだ。
確かに、この1年はCOVID-19に追い回され、仲間とのコミュニケーションも思うに任せず、不安定で苛立つことの多い日々を嘆き、呪い、時には周りに不満をぶつけて来たような時もあった。呼吸すら遠慮がちに、小さく、浅く、マスク越しにしているのだ。そんな日々を感謝を持って振り返り、受け止めることは決して易しいことではないだろう。
だからこそ、そうした時間の連なりとしての1年の区切りをキリストの誕生と言う出来事を契機として、自らの五感を総動員して脳裏にはっきりと鮮やかに表象化させるのである。まさに格好の哲学的にも、心理学的にも、映像的にもすばらしい舞台設定ではないか。
その意味で敢えて、今ここで我々一人ひとりがこの時空を超えた壮大な舞台において懺悔と歓喜と感謝と希望に導かれ、苛立たしいことの多かったこの1年の終局に素直に立ち会う事の意義は十分にあるのではないだろうか。
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