少子化という人類の課題
2018年11月15日
今月に入って俄かに我が国の少子化傾向に伴う、生産者人口の減少化がかしましくいろんなレベルで議論されている。我が国においては既に2005年から人口は減少していて、その傾向はますます進行している。少子化対策が担当国務大臣まで置かれてあれこれ対策は、あまたの税金を費やして取り繕われているが成果は今のところ皆無。合計特殊出生率は2.07で人口が現状維持と言われているのに最近のデータでは1.4前後で推移している。つまりは2人の男女が1.4人の子どもをもうけるということになる。と言うことは、このままいけば、この地上から日本人と言われて来た人間が消滅する事が想定される。その減少率は今後加速的であり、世に言うねずみ算の逆現象となって進行することになるだろうから。
結局、この日本列島で展開されている種々の社会現象がこのままいけば維持、継続、発展は覚束なくなると言うことでもある。つまり、全国いたるところで過疎化が進み、生産者はもちろん消費者が居なくなり、我が国の行け行けドンドン的な社会・事業・国家体制が維持できなくなることになるから。そうした悲観的な将来予測の中で、純正日本人?だけで維持することを諦めてと言うことであろうか。
当然、我が国では高齢者や主婦や障害者やAI化や成人年齢の引き下げで若者を取り込んでと言う施策が先んじて行われているが、その実態も雇用率でっち上げ事件が物語るように未だ行政も他人事感が拭えないのが悲しい我が国の現実である。そうした中での外国人労働者の受け入れ騒ぎである。彼らにも人格やprideがあることを忘れてはならないだろうに。
そんな最中で、学園の次年度の職員確保のための説明会が始まり、書類選考後の今月半ばに小論文試験、面接を予定している。多くの福祉関係者からは、最近職員が中々集まらないので事業の維持や継続更には新規事業の展開ができないと言った話を聞くにつけても説明会から半分になって、色々な職種の16人の面接をすることになっている。大変ではあるが、一方では正直安堵というか嬉しい悲鳴である。こうした機会に恵まれていることに感謝しつつ、長いこれからの生き様を繋ぐ責任のある真剣な出会いの場であることを自覚し、謙虚に臨みたいと思っているところである。
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