気づいた者には責任がある!
2023年11月29日
このところ暑いような、寒いような不安定な陽気が続いていた。わが国で11月も半ばを過ぎれば大地は錦秋に染まる候。心身ともにさわやかな・・・と言うところなのに。
幼いころに教科書で知った春・夏・秋・冬という個性豊かなそれぞれの季節を五感六感で堪能し、実感してきた記憶にはむせかえるような郷愁すら感じる。また、そのことは我々の一人ひとりのDNAにまで落とし込まれているような気がしないでもないほどに我々にとって個人の感覚や思念を超えた、わが国の文化文明の土台の様に感じて生きて来ているような気がする。
しかしながら、それが今ひょっとすると根底から揺さぶられるような事態になっているのかもしれないと思えるほどにその証左は日常の中にあまりに多く散見される。さらに今日の情報社会は我々がそのことに無関心であったり、盲目であることを許さないほどに姦しい。
そうした事態を招来している我々の祖先のホモサピエンスがこの地上に登場して40-50万年、それからの途方もない時間を、多くの危機や困難や犠牲を対価にしてやっと手に入れた進化の恵み、大地の恵みを我々は18世紀以降の2~3百年の間に乱用と破壊のうちに食い尽そうとしているかのようであり、そのことの反省も表層的でおざなりすぎないか。
気候危機を皮切りに、異次元の少子化、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルとパレスチナ紛争などなど、今人類はこの地上からの消滅の道を歩き出した絶滅危惧種なのかもしれない。クワバラ!クワバラ!
« 足早に季節は移り行くが 社会の歪みはより弱者に収斂する »
<<一覧へ戻る