少子化の現実
2019年07月12日
梅雨の最中、学園への入り口の細い十字路(五叉路?と言った方が良いかもしれないが)の角の住宅の解体作業が続いている。数年前に学園の改築の際にはいろいろご不便をお掛けしただけに、今回は我が方が理解と協力をしなければと職員一同心がけている日々である。ほぼ一週間かけての解体作業であるがそろそろ終盤を迎えている。毎日5-6人の職人さんが解体作業にあたっている。足場がくまれ、天幕が張られてという事でその前を通っても彼らに言葉かけをするとか彼らの表情を読み取るとかはない。
しかし、ある時工事責任者に話をする必要があって彼らに話しかけて驚いた。その作業員の全員が東南アジア系の外国の方々であったからだ。最近の我が国の人口動態ニュースで人口はこの十年減少し続けていて、今年はその数が過去最大とか。一方では人口の2%にあたる方々が外国籍であるという。つまり50人に1人という事になる。そうした事実はある程度知識としてはあったが、目の前の3K、5K的な作業現場の人たちの全員がそうであったと言うのは正直ショックであった。目の前で、日本家屋が全く異文化の人々の手で壊されているという姿は、我が国の少子化の実際が小中学校の統廃合で云々と言うよりは遥かに生々しく、痛々しく、淋しく思えたからだ。しかもこの傾向は留まることは皆無であるのだ。理論的にはこの地上から日本民族は消滅するだろう。そのことに誰も歯止めがかけられない。万が一に留めることが出来るとすればそれは個人や一行政レベルではなく、国家的、民族的制度政策でしかない。しかし、そこが無策であるのだ。
今となっては今更人種だとか、国だとか、民族にこだわることはナンセンスなのかもしれない。みんなが違って、みんな良い! 一つの命に、一つの輝き! そうだ!!
国が共生と言いだしているのはそんな開き直りの苦肉の策なのかな。しかし、それではどこかボタンを掛け違えていると思うのだが。
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