Ego Centric な自分を離れて
2021年05月31日
例年、関東地方は6月初旬が梅雨入りの候である。今年もそろそろそんな季節になりそうな予感に満ちた陽気がこのところ続いている。我々、今時の人間にとっては「うっとおしい」、「じめじめ、じとじと」、「熱中症が」、「憂鬱な」、「濡れる」とかとこの時期に対してあまり好意的な感情は持っていない。しかし、残念ながら我々が生まれる前からそんな季節が毎年必ず1カ月から1カ月半くらい、年によっては2カ月ほど続く。その間はあの青く澄み切った空と白い綿雲を楽しみに、ひたすら忍の一字で我慢我慢の気分で不平を言いながら日々を過ごしている。日本人の忍耐強いというか我慢強いのは、和辻哲郎ではないけどそんな日本列島のおかれたモンスーン気候の地球風土が培って来たものなのだろう。
しかし、ちょっと視点をEXO-CENTRICに自己中的視点から離れてみるとその様子は一変することを忘れていないだろうか。
長く厳しい冬の季節を絶えて、日差しのぬくもりや輝きの増す中で、大地が温められ寒さも和らぎ、虫や草木もおもむろに動き、芽吹きはじめ出し、そうした自然の摂理の恩恵を最大限に享受しながら我が世の時々を謳歌するのである。芽吹き、花をつけ、実をつける一連の命の営みが周りの命にもお互いに恩恵を振りまきながら滞りなく営まれる過程において、この梅雨期は欠くことの出来ないものであることをあらためて考えて見よう。
我々人間も一方的に、否定的に捉えていたこの時期は、こうして見てみると結構この時期の凄さ、美しさ、やさしさ、恩恵やありがたさ、命の輝きに包まれている一時でもあることに気づけるのではないだろうか。
飢え渇いた時の、コップに残る半分の水を「あと半分しかない!」と言って嘆くのか、「まだ半分もある!」と言って安堵するかは人それぞれ。さてさて、自分はどっちのタイプなんだろうか?
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