過去と未来の錯綜した日々の中で
2021年02月18日
立春も過ぎて確かに日に日に日照時間、すなわち「日の出」から「日の入」までの時間が長くなってきている。私の生活は学園に来る朝の時間は日々5時台であるが、 つい最近までは未だ真っ暗のなかであった。それがこのところ何となく東の空がうっすらとほの明るい感じがするのだ。我が家の庭の梅、早咲きの学園の桜もこの数日で一気に咲き始めた。このところコロナ、コロナで気分的にもグルーミーな日々であっただけに、抗体ワクチンの接種開始のニュースと共に嬉しく、明るい気分になれている。この瀕死状態下にある地球が、たとえ一時であったとしてもこの眩いまでの輝きの中で花や新緑に覆われるのが例年になく待ち遠しいのは私一人の感傷だろうか。
一方、わが国では多くの活動団体や事業がこの時期は4月からの新しい年度の準備(人事・事業計画や予算づくりなど)とそれに先立つこれまでの一年の総括に追い立てられる時期でもある。そこにコロナ対策も入り込んでいる今年であってみれば推して知るべしである。先日も学園の各部門からの事業計画案のチェックをしながら感じたことがいくつかあり、職員とあらためて確認しようと敢えてダメ出しをしたり、話題にしたところである。それは学園がこれまで半世紀近くかけて篩にかけながら死守して来た基本ミッションとしてのキーワードが各部署の事業計画から抜け落ちているということである。
「チームアプローチ」、「インテグレーション」、「キーパーソン」、「ケース・カンファレンス」、「モンテッソーリ法」、・・・。それらはすでに一人ひとりの職員のアンダーウェアー化しているのかもしれないが、やはり敢えて言語化し、意識化し、それをどのように具体化し、行動化するかを己に、事業体に問いかける瞬間でもあると思うからだ。
「継続は力なり」と言うが空文化、希薄化することは世の常であり、小さな気の緩みやミスから始まることは誰しもが知っていること、クワバラ! クワバラ!
« 無為無策のつけが 桜が咲き、緊急事態宣言も解除されたが »
<<一覧へ戻る