自然は両刃の剣か
2014年08月28日
我が祖国、敷島の日ノ本日本は優しい自然の揺籃に揺られるような生き物に優しい、生きやすい国であった。そのことを日ごろ愛国心の薄い自分にも心ひそかに自慢し、納得するところであった。四季の移ろいは特に我々日本人には不可欠な、空気や水のようなそれが当たり前の自然の変化であり、営みであった。それが不変なものと信じ切って生きていた。和辻哲郎ではないが、そんな気候が穏やかな日本人気質を育んできたとか・・。
しかし最近その確信が激しく揺さぶられているような気がする。天変地異現象がその頻度や程度や内容に、もちろん天文学的な単位での時の経過の中では有り得るかもしれないが、その在り様が余りに激しく、速く、大きい気がする。限りなく悲観論的にはどう考えても人類は生命体としてはピークを過ぎた種であると思われるときに、この大きな自然変化、災害はその適応力を超えたところにあり、この難局を乗り切れないのではないだろうかと思えてしまう。クワバラ、クワバラである。
しかし、しかしである。それを乗り切ってしまうのが人類の偉大なところとかや。期待しよう。あの自然界の底なしのメガパワーをどうやって乗り切るんだろうか。抑えるとか、克服するといった敵対的な対処、感覚では不可能であろう。やはり、しなやかに、したたかに、受け入れ、飲み込み、共鳴し、共振することではないだろうか。そんな存在を個人としても、組織としても志向しなければと思うこのごろである。
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