やはりこの道を歩くことの矜持
2019年08月16日
夏が暑いのは想定内であるとしても、とりわけ今夏は暑い、熱い。台風も、豪雨も、地震も例年のようであり、天災も人災もまた、また・・・・である。被災された関係者の皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。
さて、そうした諸事あれこれ厳しい最中、とりわけ今年は難儀なというか忸怩たる思いの中で過ごさざるを得ないことが起きている。それは他人のやっていることを自分の目や耳で確認してではなく、噂話や勝手な邪推や勘繰りの中であれこれ批判、評価することでの人としての品位を保つことの難しさと言うか弱さというか事である。それは、うめだ・あけぼの学園での40年余にわたる夏(7月下旬)の年中行事になっているサマーキャンプでのことである。今年も毎日通園室の年長児26名と姉妹園のうめだ「子供の家」の年長児6名(5倍以上の競争率での抽選)と1対1対応での大人32名(職員と実習生)、更にはBackyard人員である診療所小児科医2名と看護師など11名の大人43名、総勢75名が参加した。親から離れて、観光バスで2時間半ほどの神奈川県秦野市にある上智大学のクラブハウスでの3泊4日の生活。
これには3つの視点からの目的がある。①子ども:大自然の中での非日常的でチャレンジブルな海遊び・川遊び・虫取り・花火・すいか割り、草はらでの駆けっこなどを大人の支援者に見守られて体験する。②保護者:Respiteの意味と家族にとっての本児の存在を振り返り、考える機会とする。③支援者:75時間の疑似親子pairで過ごす中で、子どもをより広く、深く知り、さらには子どもについて保護者との共感域を拡げ、両者の信頼度を増すなどなどである。
我々はこの活動を半世紀近く精査、吟味し続けているが、このprogramは準備や実施の大変さを超えて、関係者にとってのその意義意味の大きさを実感し、納得しながら今日まで来ている。勿論、この間いろいろなことがあったとしてもである。そんなところに今回想像もつかない視点からのクレームが出た。時代が変わった、意識が変わったと言うけれど人間としての育ちや学びに託す気持ちや思いは猫の目のように変わる、変えることなのだろうか。4日間とは言え疑似親子になっている支援者と子どもがシャワーブースの中でシャワーを浴びる際に大人も裸になって一緒にという行為である。幼児の男児や女児が疑似親となっている大人の職員とシャワーブースの中でシャワーを浴びることにそれほど・・。
むしろ大人が水着でいることの方にこそ違和感があって、子どもはどう思うだろうか?そのことを時代の性にして、一方的に我々の福祉的・教育的missionを取り下げよというのだろうか。我々の矜持を貫き通すべきだと思うのだが・・。怒りと共に忸怩たる思いの今夏である。
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