「3S」が暗躍するご時世か
2021年07月30日
市民が額に汗して蓄積し、創出したささやかな資産や安寧を搾取し、強奪し、破壊し、圧倒的な権力を掌握しようと画策するための手法が人類史上様々に試みられて来て、今日にある。
すべての生ある命には固有の意味があり、価値があり、その重さは地球よりも・・と言う今日的なインクルーシブな人間観からすれば、それは人類が営々と積み上げてきた叡智を一部の権力者の私利私欲の膨満化のために、今風にいろいろにcamouflageされて、我々の前にある。
その一つが、為政者による3S政策である。国民の関心を為政者の政策や体制、特に失政などのネガティブな事態から目をそらせるための手法である。3つのS。それはSPORT,SCREEN,SCANDAL(SEX)のSである。半世紀前に全共闘世代のカオス世界の中で過激化した若者の関心をそらすために為政者が取った国民を愚民化するための一大政策である。
それから半世紀、再びあの当時の世情が登場しているようだ。時は今オリパラを中心に、このパンデミックのコロナ下にあってマスコミ情報の多くの部分がこれらの話題に覆いつくされてしまい、国民の本質的な幸せ、豊かさ、安心、安全などの課題が山積しているにもかかわらず無政府状態化しているではないか。まさに刹那的でヴァーチャルな快楽情報に国民が酔い、痺れている。
更に最悪なのは、新しい3Sが前政権以来常態化し、これもパンデミック状態化かも?
つまり、3つの新たなSの登場である。すなわち、為政者による新たな愚民政策としての手法の登場である。それは「説明をし無い」、「説得をし無い」、「責任をとら無い」の3つの無いである。具体的内容については今更説明するまでもないほどに国民が知りたい、説明して欲しい、責任を取るべきだと思っている事件、事態、政治的スキャンダルばかりであるのに無視、回避、ほっかむりし続けるという状況が続いている。
自助・公助・共助というこれまた今日での社会的な共通価値感のバランスが崩れて来ている今、己の立ち位置をお互いに冷静に見つめ、自助力の培養に努める時かもしれないね。Good Luck!
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